プロフィール

ネガティブスパイラルから抜け出し、自由な人生へ

ネガティブスパイラルから脱却し 自由な人生へ導く
心理カウンセラーの とよたなおこ です。

― どんなにしっかりして見える人にも、心の中には悩みや葛藤があります ―

私はこれまで臨床心理士として18年間、さまざまな場で、多くの方の相談にのってきました。

職業や年齢は違っても、みなさん、何かしらの悩みや葛藤を抱えながら生きています。

けれども、ほとんどの人がこうおっしゃいます。
「自分が我慢すればいい」
「こんなことで悩む自分がおかしいのかもしれない」
と。

そうして、自分の気持ちを押し殺しながら、いつの間にか心が疲れてしまうのです。

実は、私自身も長いあいだ、いい人をやめられず、人のために生きてきました。

何をしても満たされず、心にモヤがかかったような毎日でした。

なぜ、私が生きづらさを感じていたのか。
そして、どうやってそこから抜け出し、今の安らぎを手に入れてたのか。

このプロフィールでは、そのプロセスをお伝えしていこうと思います。

少し長くなりますが、あなたの心に、何か小さな気づきが届いたら嬉しいです。


目次
「いい子でいることが正しい」そう信じていた幼少期
自分の気持ちを置き去りにした思春期
心のしくみに救いを求めた大学時代
「いい人」から「完璧な私」へ 形を変えた他人軸
やっと自分を生き始めた、その矢先に ― 夫の病
夫を亡くした喪失の中、仮面もかぶれなくなる…
心がほどけたカウンセリング 「何のために、いい人でいたいの?」
我慢できる私から、自分を許せる私へ
自分を大切にする一歩を踏み出してみませんか?

「いい子でいることが正しい」
そう信じていた幼少期

私は自営業を営む両親、祖父母、妹、弟に囲まれた7人家族の中で育ちました。
両親はいつも忙しそうでしたが、病弱だった私は、母から大切に育てられていました。

けれども、その日常はある日を境に大きく変わります。
弟が事故で大怪我を負い、母の関心が一気に弟に向いていったのです。

母は常に疲れた表情で、私が話しかけても「あとでね」と短く返すだけ。
けれど、“あとで”はどれだけ待っても訪れませんでした。

「お母さんを困らせちゃいけない」
そう思うようになり、私は自分の気持ちを飲み込み、黙って我慢するのが当たり前になっていきました。

すると、大人たちから「手がかからなくて、本当にいい子」と声をかけられることが増えてきました。
その言葉が嬉しくて、私は“自分の本音”を心の奥に閉じ込め、「いい子」であることが“正しい”と思うようになっていったのです。

自分の気持ちを置き去りにした思春期

家庭でいい子を演じることに慣れていた私は、学校でもまわりの空気を読むようになっていきました。

もともと引っ込み思案な私は、小学校に入ると、からかわれることが増えていきました。

泣いたり、助けを求めたら、かえってややこしくなる――
そう思った私は、黙ってやり過ごすことを選びました。
けれど、その沈黙が、かえって相手を意地にさせてしまったようにも思います。

誰にも助けを求められないまま、ただ一人で時間が過ぎるのを待つしかありませんでした。

皆が楽しそうに過ごす休み時間、「自分だけが違う」と思った感覚を、今でも覚えています。

中学に上がると、女子同士の陰口やグループの対立が増え、学校生活は緊張を伴うものとなりました。

最初は仲が良かった友人が、気づけば私の悪口を言う側に回っていたことも経験。

「相手にあわせていけば、波風たてずにすむ」
そう自分に言い聞かせながら、場の空気を優先するようになっていきました。

家庭でも学校でも、自分の気持ちを抑えることが当たり前だった私は、心の救いを探すように、心理学に関心を持ちはじめました。

地方の狭い人間関係の中にいた私は、「もっと自由に生きたい」という気持ちもあり、東京の大学で心理学を学ぶ道を選びました。

大学では、誰に遠慮することもなく、自分のペースで心理を学ぶ時間が持て、少しずつ心がほぐれていくような感覚がありました。

そして、「心のしくみを知ることが、人を救うことにつながるかもしれない」
そんな思いから、心理の仕事への憧れも次第に強くなっていきました。

けれども、卒業を前にして現実の壁にぶつかります。

「社会経験もない自分なんかに、悩みを相談したいと思うかな・・・」
その不安が大きくなり、なかなか一歩を踏み出せません。

さらに両親は、「卒業したら地元に戻ってほしい」と望んでおり、その思いを無視することもできません。

最終的に私は、心理職の道をいったん手放し、地元で一般事務の仕事に就くことを選びました。

やりたかった仕事をあきらめることへの違和感を抱えながらも、そのときの私は「まわりの期待に応えることが正しい」と信じていたのです。

「いい人」から「完璧な私」へ
形を変えた他人軸

言われたことをきちんとやり遂げる一般事務の仕事は、几帳面な自分の性格にも合っていました。

まわりの期待に応えることで安心できる――
そんな生き方が、私の中では自然なものになっていたのです。

けれど、結婚をして仕事と家庭を両立する生活がはじまると、私は「きちんとした社会人」「いい妻」でいなければという思いに駆られはじめました。

夫の実家は地域でも知られた家柄で、「立派な家の嫁として恥ずかしくないように」と、常に気を張っていました。

義母が病気になってからは、仕事・家事・看病のすべてをこなす毎日。

「ちゃんとしていると思われたい」
「できない自分を見せたくない」

完璧でいようとするほど、“できていないところ”ばかりが目についてしまう悪循環。
気づけば、自分を責める言葉が頭の中を占めていました。

“いい人”でいようとすることが、いつの間にか“完璧でなければいけない私”に変わっていたのです。

やっと自分を生き始めた、その矢先に
―夫の病

そんな日々の中でも、私の中にはずっと消えない思いがありました。
それは、心理の仕事への憧れです。

学生の頃に感じた「心のしくみを知りたい」「人を支えたい」という気持ちは、忙しい生活の中でも小さな火種のように残っていました。

その背中を押してくれたのは夫でした。
「やってみたらいいよ」
その一言が、迷っていた心を静かに後押ししてくれました。

私は心理の道に再び挑戦することを決意し、精神保健福祉士・臨床心理士の資格を取得。
念願だった心理の仕事に就くことができました。

誰かの話に耳を傾け、その人の心が少しずつほどけていく瞬間に立ち会える。
やっと、自分の人生を生き始めたような気がしていました。

けれども、ようやく夢が形になった矢先、夫の体調が悪化し、がんの告知を受けました。

医師から伝えられた「余命3年」という言葉は、現実を受け止めきれないほど重いものでした。

義父からは「こんなときに仕事なんかしている場合じゃない」と責められ、罪悪感と葛藤の中で揺れました。

それでも夫は「続けて欲しい」と言ってくれ、その言葉を支えに私は働き続けました。

そして、がん告知から一年たらずで、夫は旅立っていきました。

夫を亡くした喪失の中、仮面もかぶれなくなる…

夫の死は、私の中の何かを静かに奪っていきました。

仕事に戻っても心はどこか遠くにあるようで、人の話を聴きながらも、自分の心はどこにも見つからず。

感情を抑え、笑顔を作り、“いつも通り”を続けることが、自分を保つ唯一の方法でした。

「ちゃんとしなきゃ」「しっかりしていなきゃ」
そう自分に言い聞かせながら、日々をこなしていました。

天国にいる夫に安心してもらえるよう、必死に生きていましたが、本当は泣くことも、立ち止まることもできなかっただけでした。

気づけば、心はすり減り、朝、目が覚めても何も感じない日が増えていきました。

それでも私は、また“いい人”の仮面をかぶり、心の痛みをごまかしながら生き続けました。

けれど、その仮面を支える力は、もう、ほとんど残っていなく、とうとう私は仕事に行くことができなくなってしまったのです・・・

心がほどけたカウンセリング
「何のために、いい人でいたいの?」

心が限界に近づき、私は“話を聴く側”から“話を聴いてもらう側”へと変わりました。

けれど、当時の私は、「つらい」「悲しい」と言葉にすることすら怖くて、カウンセリングを受けても本当の気持に触れることができませんでした。

それでも、カウンセラーは私の話を急かすことなく、ただ静かに、受け止めてくれました。

自分の言葉で、自分を語るうちに、胸の奥に溜め込んでいたものがほどけていくのを感じます。

沈黙のあと、カウンセラーが静かに問いかけました。

「何のために、いい人でいたいの?」

その瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ち、今まで抑えてきた涙が止まらなくなりました。

私が“いい人”でいようと必死だったのは、私が私を守りたかったから。

本音を隠し、頑張り続けていたのは、誰かが傷つかないよう願っていたからでした。

けれど、その頑張りこそが、自分自身を一番苦しめていたのです。

その気づきの瞬間、夫の姿がふっと浮かびました。

「もう、これ以上、無理をしなくていいんだよ」
そう伝えてくれているようでした。

我慢できる私から、自分を許せる私へ

カウンセリングをきっかけに、私は少しずつ、いい人でいようとする自分、無理をする自分を手放していきました。

最初のうちは、どうしても罪悪感がありました。
「本心を言ったら、嫌われるかもしれない」
「みんなに迷惑をかけたら申し訳ない」――
そんな思いが何度も頭をよぎりました。

けれど、“誰かの期待に応える”よりも“自分の気持ちを大切にする”ほうが心が穏やかでいられることを実感していきました。

できないときは「できません」と言っていいい。
つらいときは「つらい」と感じていい。
そう自分に許すことが、強くなることなんだと知りました。

これまでずっと、「我慢できる私」になろうとしてきたけれど、本当に必要だったのは「自分を許せる私」になることだったのです。

そう思えるようになったとき、人との関係も変わっていきました。
気を張らなくても、ありのままで話せる人たちが増え、気づけば私の中に「誰かの心を支えたい」という想いが、自然に戻っていました。

「今度は、私が誰かを支える番だ」
私はカウンセリングを再開させることを決意しました。

自分を大切にする一歩を踏み出してみませんか?

“いい人”をやめ、本心を大事に無理をしなくなった時、私は心のやすらぎを手に入れることができました。

それは、人を大切にすることと同じくらい、自分を大切にすることが必要なのだと気づいたからです。

今の私のカウンセリングの原点は、ここにあります。

かつての私のように、人の目を気にして我慢ばかりし、“いい人”をやめられずに苦しんでいる方の力になりたい。

私が多くの人に支えらて生きてきたように、今度は私がクライエントさんの支えとなる存在であり続けたい。

そんな思いを胸に、悩みや葛藤、生きづらさを抱えている方に寄り添っています。

もしあなたも、もし“いい人”の仮面を少し降ろしてみたいと思ったら、その一歩をそっと支えますので、どんぞ安心してお話しくださいね。